64歳で失明、72歳で大学院博士課程へ 西宮の男性2008年03月31日 64歳で失明した後、点字を学び続けた兵庫県西宮市の森田昭二さん(72)が関西学院大学大学院の博士課程に合格した。60歳を超えてから点字を学ぶ人はまれだが、日本語だけでなく英語の点字も習得し、周囲の協力も得て2年越しの挑戦が実った。「目が見えなくなっても、新しい人生を前向きに歩みたい」。こんな思いを原動力に4月1日、同大学院人間福祉研究科の入学式に出席する。(鈴木康朗)
森田さんは生まれつき視力が弱かった。京都大文学部を卒業後、大阪教育大付属池田高校などで国語教師として教壇に立った。38歳で白内障の手術をして以降、視力低下が進んだ。教科書の文字も読みにくくなり、「これ以上は学校に迷惑をかけられない」と55歳で退職を申し出た。 60歳を過ぎると、「自然の流れ」と失明を覚悟し始めた。30歳代の頃に幼い長女を事故で亡くしたつらさを紛らわせようと始めた短歌に心境を託すようになった。 〈盲目の闇へはさほど時かけてゆくにはあらじ春の浮雲〉 99年夏。自宅近くの郵便局へ手紙を出しに行く途中、突然目の前が真っ暗になった。「ついに来たか」。覚悟していたはずなのに、悲しさ、苦しさがこみ上げた。昼寝から覚めても光が見えなかった。 〈午睡(ごすい)より目覚めて閉ざす暗闇にたまらなくたまらなく悲しみ動く〉 失明から1年半後の65歳の時、大阪市にある視覚障害リハビリ施設「日本ライトハウス」に入所した。「目が見える人生は60年以上歩んできた。今度は、見えない人生を一から始めよう」と思い定めた。 つえで歩いたり、点字を読んだりする練習を繰り返した。寝る間を惜しんで点字を打ち、それを読んだ。 〈暁闇(ぎょうあん)に友の寝息をはかりつつ指先で追ふ点字の群れを〉 半年で点字を習得した。1年3カ月のリハビリを終え、人生をもう一度生きるため、03年春に67歳で関学大の聴講生になった。2年後に大学院修士課程に進み、日本の社会福祉の近代化についての約10万字の論文を大学院の研究仲間らに手伝ってもらってパソコンで書き上げ、71歳で修士号を取った。 視覚障害者福祉の近代化について研究を深めようと、昨春から視覚障害者福祉の歴史を勉強し直した。関学大の学生ボランティアが研究資料を朗読してくれ、その録音テープを何度も聴いた。文献探しも手伝ってもらった。ボランティアのひとりで関学大社会学部1年の児玉亜矢子さん(20)は、授業で学んだ社会福祉を実践したくて協力した。「森田さんの学ぶ姿勢に私も励まされました」と言う。 昭和初期に日本ライトハウスを創設した岩橋武夫氏も学生時代に失明した。森田さんは「盲人の福祉は盲人が高めてきた歴史がある」と考え、4月から学ぶ博士課程では「今度は盲人である私が盲人福祉の歴史を解き明かしたい」と言う。 森田さんは今月、こんな歌を詠んだ。 〈神われを選びてあたへたまふなる盲人福祉史のこの聖業を〉 |